絵というものは.......もちろん目でみて感じるものです。
最初の印象は視覚から入り、そのあと文章(作品の過程)へと興味を移して
ゆくのが常だと思います。

ここでは3ヶ月ごとに、私が心惹かれる絵を描かれた方達と
その作品の魅力を あえて文章だけで紹介をしたいと思います。
とても有名な方達なので、実際の作品や経歴などは
書店や図書館などで 調べてください。
よく御存じの方は自分の感性と比べてみたり、
まだ御存じでない方は私の言葉から想像を張り巡らせて
その後何らかの媒体で触れあって確かめて下さったら
とても嬉しいです.........。

文章から入ってきたイメージはきっと本物に触れた時、 様々な形に変化していくものだと思います。
そしてその過程がとても大切な気がします......。


(一回目) 東山魁夷<HIGASHIYAMA KAII>

風景画家として知られる東山魁夷。
私が彼の作品の中で最初の出合いとなった絵は
「光昏」という作品です。
あまりにも鮮烈で、何とも言い難い印象が
そこにはありました。
それは私の今迄の日本画に対する思いを
全て否定する出会いであったのは 確かです。→
私は彼の作品をみると木々の揺らめき、
風の音、生暖かい日ざし....など
体全体にその風景の環境まで感じ取れて、
まるで錯角におちいるような感覚になります。
でもその一方ただの素朴な風景画のような
気もするのです。
だからこそ、そのギャップに引き込まれていく
ような気がします。
その矛盾を追求しようと試みていくうちに
もう二度と抜けだせない東山魁夷が描いた森の中に
迷いこんでしまったのかもしれません。
「私は画家である前に人間である」と彼は
言っています。
そしてこう続いています。
「私は人間的な感動が基底に無くて、風景を
美しいと見ることはあり得ないと信じている。
風景はいわば人間の心の祈りである。
私は清澄な風景を描きたいと思っている。
汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救い
であり得るはずが無い。
風景は心の鏡である。
庭はその家に住む人の心を最もよく表すものであり、
山林にも田園にもそこに住む
人々の心が映し出されている。
河も海も同じである。
その国の風景はその国民の心を象徴するといえよう。」→
人間的な感動というのは人によって様々だと思います。
でも、清澄な風景を美しいと思うのは
健全な人の心をもつ証のような気がします。
道ばたに落ちている木の葉をみて秋の訪れを感じたり、
波の行き交う音を聴いて夏の涼しさを味わったり....。
流行は留まることなく変化しているのに、
不思議と毎年必ずやってくる自然の風景には
年を重ねるごと感動が深まるばかりのような気がします。
そして、この感動が当然のように感じていたけれど
実は神様が人間に与えてくれた救いとなる感情では
ないのかと感じました
日本的でもあり、洋的な要素も感じられる
東山魁夷の絵の中にはほとんどといっていいほど、
人物が見当たりません。
それに対して彼はこう語っています。

「私が好んで描くのは、人跡未踏といった景観ではなく、
人間の息吹がどこかに感じられる風景が多い。
しかし、私の風景の中に人物がでてくることは、
まず、無いと言ってよい。
その理由の一つは、私が描くのは人間の心の象徴としての
風景であり、風景自体が人間の心を語っているからである。」→
私は彼の作品に心のゆとりを感じます。
心のゆとりをもつことによって、
優しさと謙虚さが生まれるのだと思います。
それは決して時間があるわけではなく裕福であるわけでも無く、
素直であることだと思います。
そしてそれはとても難しいことかもしれません...
最後にとても印象深かった彼の文章を紹介します。
「私は私の意志でうまれてきたわけではなく、また、
死ぬということも私の意志ではないだろう。
こうして、いま生きているというのも、
はっきりと意志が働いていきているわけでもないようだ。
したがって絵を描くということも.........
私は何を言おうとしているのか。
力を尽くして誠実に生きるということを
尊いと思い、それのみが、私の生きている唯一の
意義であるはずだと思ってはいるのだが。
それは、上述の認識を前提とした上でのことである。
(右に続く)
私は生かされている。
野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。
生かされているという宿命の中で、
せいいっぱい生きたいと思っている。
せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、
生かされているという認識によって、いくらか救われる。」


いかがでしたか?文章だけで絵を想像することは難しいでしょうか....
 思いのほか東山魁夷が語った文章を多く引用したのは
彼の作品の中に息づいている精神論のように思われたからです。
そしてそれがあるからこそ数多くの素晴らしい作品が生まれたのだと思います。

何かの力で自分は生かされている.....確かにそうかもしれません。
人も自然も全てのものは何か大きな力に身を委ねながら
生かされているのでしょう。
その言葉を真正面から受け止められる時、私はその森の中から
やっと抜け出すことができるのかも知れません......むらさきはなな

東山魁夷に関する情報のリンク
長野信濃美術館(東山魁夷館)のHP