| 文章から入ってきたイメージはきっと本物に触れた時、 様々な形に変化していくものだと思います。 |
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私が目を通した書物の中では残念ながらミロの素顔、実生活については多くは語られていませんでした。(ミロの作品を事細かく時代に結び付けながら解説しているものが多いいのです) ミロは自分の事をあまり語りたがらない画家だったようです。 寡黙で堅実な人柄は浮かび上がるものの、其れに反してミロの作品には熱く燃え上がるような精神が宿っているような気がします。 それには彼の祖国であるスペインのカタルニヤ地方の独特な精神的風土が関係しているようです。 カタルニヤは今でも中世のロマネスク芸術の幻想的でユニークな壁画が残っていて、さらにミロが生まれたカタルニヤ州の州都であるバルセロナはカタルニヤ第一の港で、東方文化、ギリシャ、キリスト教文化などをとりいれ、混合文化の中心となった土地です。 ミロの初期の代表作となった『農場』(1922年に完成)についてアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイはこのように語っています。 「この絵には、諸君がスペインにいるとき感じるもの、またスペインを離れ、そこに行けないでいるとき感じるものの一切がある。他のどんな画家もこんなに相反したふたつのものを描き出すことはできなかった。」 ヘミングウェイは当時無名作家でパリを放浪していたにも関わらず、 無名だったミロのこの作品を無理にお金を工面して購入し、生涯大切にしていたようです。 ミロは祖国を愛し、そしてミロのことを本当にわかろうとするには実際にカタルニヤの大地を踏みしめることが第一なのだと思います。
| 職人でありながらミロの両親は現実的でミロが画家になることを反対していました。ミロは父親の意向もあって美術学校に通う一方で商業教育も受けていました。 その後、会社の簿記係の地位を得て、一度絵を描くことを辞めてしまいました。 其の結果、軽い神経症に陥り、挙げ句の果てにはチフスの発作までおこし、父親もさすがに商売に向いていないことを認めたらしいです。 |
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ミロは14歳の時ピカソの父親が教鞭を執るラ・ロンハ美術学校に入学をします。 そして、19歳の時にバルセロナのアカデミー・ガリに入学します。 ミロは二つの美術学校で、二人の教師に面白いことに同じような教育を受けるのです。 一人はラ・ロンハの装飾美術を専門としていたジョセプ・パスコで、もう一人はフランシスク・ガリです。 パスコもガリもミロ自身の自由な発想で描かせたのです。 視覚にとらわれない触覚だけを頼りにその形態を再現させたり、堅苦しい模写から離れ、本能を優先させたやり方です。 この二人との出合いはミロにとって大変貴重なものだったに違いありません。 |
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1924年、シュルレアリスムはモダンアートの中の運動の一つとして、パリで生まれました。ミロはこのグループに仲間入りをします。シュルレアリスト達との交流やその思考はミロの芸術生活に多大な役割を果たしています。
ミロはクロイチゴのジャムをうっかりカンヴァスの上にこぼしてできたしみの周りに絵を描き始めたことがあったといいます。ミロは無意識かつ純粋の心理的オートマティックな状態で絵を描いていたのです。 ミロはこう言っています。「ぼくは偶発事をひき起こす。フォルム、色の染み。どんな偶発事でも構わない。」 しかし、気紛れにできあがったようにみえて実は、構成には時間をかけて準備していたようです。 |
シュルレアリスム 理性によるいかなる管理も受けずに審美的な或いは道徳的ないかなる先入観もなしに行われる思考の書き取りのこと。 無意識という心の源泉に飲み口をとりつけて心の中の創造性かつ想像的な諸力をくみ出そうといるのがシュルレアリストの計画でした。 シュルレアリスムの画家達 ルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、ジョルジュ・デ・キリコ、マックス・エルンスト |
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ミロの創造性はとどまることがなかったのです。絵画、詩、コラージュ、舞台美術...
そして彫刻、陶器、壁画と晩年に至るまで創作は続きました。 ミロは念願だった大きなアトリエを1956年、マヨルカ島パルマの美しい浜辺を見下ろす台地に建てました。そして、仕事をすればする程仕事をしたくなるというミロのアトリエは作品で瞬く間にいっぱいになってしまうのです。 初期の頃のミロの作風はフォーヴやキュビズムの影響が強く現れています。 そしてシュルレアリスムの出現とほぼ同時にさらに抽象化が進み、其の頃ミロ独自の 幻想的なフォルムが生まれたのではないでしょうか。 ミロは晩年になっても積極的に自分を新しい時代に投げ入れました。 60代以降のミロは威嚇的で、カンヴァスに力強い黒線や不穏に広がる黒い平面を登場させています。 1959年のあるインタビューでミロはこう語っています。 「私の性格は悲劇的で、内に隠りがちなのだ。 若い時は、深い悲しみの時代をくぐりぬけた。いまは比較的平穏なのだが、実際は全てにうんざりしている。人生は不条理に思える。理性とは関わり無いと思っている。 私はペシミストで、何ごとも悪い方を向いているといつも考えている。 もし、私の作品にユーモラスなものがあるとしても、私が意図してそれを求めたのではない。多分このユーモアは、私の性向の悲劇的な側面を逃げ出したい気持ちに由来している。リアクションだ。無意識的にそうなっている。」 このころから、ミロのこのような悲劇性が強まり作品にも現れてきたようです。 行き着くところが何処か分からないまま自らの内面から湧きあがってくるものだけを 体当たりで描いたのです。 さらに80歳のミロは自作の絵を自らの手でガスバーナーで焼いたのです。「焼いたカンヴァス」と名付けられ、ミロは火は人間の原始的なものだと言っています。 |
| 「ぼくは眠っている時はまったく夢を見ない。夢を見るのは目を覚ましている時だけだ。」 |